学校とは不思議な場所だ。
 確かそれはこないだ読んだ小説に書かれていた言葉だ。確かにそうだと俺も思う。例えば塾ならレベル別にクラス分けされていて、ある学校に受かるため、とか偏差値いくつを目指す、とか大体同じ目的を持っているし、店なら買う買わないに関わらず、商品を目的に人が訪れている。
 しかし学校はそういった中では異質だろう。勉強しに来ている奴もいれば、友達と会うために来ている奴もいるし、中には何となく皆が行くから、といった理由の奴だっている。かくいう俺もそのうちの一人なんだけれども。
「おい、鶴宇―」
そんなことをぼんやり考えていると、割と整った顔立ちの茶髪の男子、修哉が目の前でひらひらと手を振った。
「あぁ、わりぃ。何?」
「お前寝てたのか?まぁいつもの事か」
ハハ、と笑いながら翔が俺の頭を軽くはたく。こいつは髪を真っ赤に染めているうえに、左耳に三つ、右耳に二つもピアスをあけているから生徒指導室の常連だ。俺も金髪だし左右に一つずつとはいえピアスをあけているのだから偉そうに言えないけど。
「お前達酷いな!もう最悪だ――――!俺のナイーブな心がブロークンだ!」
「………またか?」
「おう。今度は隣のクラスの倉崎さんだと」
「よく飽きないな…」
俺は呆れながら翔の隣で泣きわめく和哉を見た。ちなみに和哉と修哉は双子なのだが、格好や動作がまるで正反対なので、見分けがつかなくて困ったことはこれまでに一度も無い。
「う、思い続けて三ヶ月、こ、今度こそはと…」
うわーんと赤茶色の髪を振り乱して和哉が修哉に泣きついた。修哉はまるで小さな子を慰める保父さんのように和哉を宥めた。
「ところが彼の三ヶ月ごしの思いは彼女の一言によって砕け散った……『私、彼氏がいるの』」
「かーけーるぅーーー!お前はいつもいつも俺のデリケートな心に塩を塗りこみやがって!ちっくしょーー倉崎さんにだーまさーれたぁーー」
校舎の外にまで響き渡るであろう和哉の大声に、「いや、彼女は悪くないだろ」と心の中で突っ込みながら廊下を歩いていると、翔が「おっ」と声を上げた。
「白峰発見!」
キュピーンと効果音をつけながら彼が指差した先には黒いコートを着た人物が歩いていた。
「な、あいつ結構美人じゃね?
そーいえば和哉くん、君は学校内の美人には必ず惚れる男だと認識しているが、あいつはどーよ?」
はい、とレポーターのように携帯をマイク代わりにして和哉に差し出すと、和哉は真っ青になって大きく顔を横に振った。
「あ、あいつは無理無理無理っ!すっっっっげぇ怖いんだから!
 あれは去年の事だった……化学の実験で隣になったからどう話しかけようかと考えていたら、たまたま前に田口がいてさ。そいつのプリントが、白峰がフラスコ洗おうと思って出した水が跳ねてほんの少しだけど濡れちゃったんだよ。ほら、田口ってちょっとガラが悪いじゃん。で、あいつが水跳んじゃったーって白峰に言ったらさ、白峰がすっごい目で田口を睨んで、『水くらい乾けばどうにでもなるでしょ!』って言ったんだよ。
 そのときの目が俺は忘れらんないよ…蛇に睨まれた蛙の気持ちがよーくわかったよ。ってかむしろ魔女?」
「へぇ……」
俺は確かそのときインフルエンザで欠席していたから、そんな事があったとは知らなかった。
「それにしても何してんだろ。あそこ中庭だろ?」
中庭とは言っても、うちの高校のには池と素のほとりに桜の木があるくらいで、その他は雑草が蔓延っているだけだ。
「ま、いっか。さーて、俺たちは哀れな和哉くんのためにマックで激励会でもやりますか!ちょうど兄貴がバイト始めたから割引券もあるしな。ほら行くぞ、和哉」
「…おう」
和哉は少し落ち着いたらしく、修哉の差し出したタオルで涙を拭った。
「それではマックにいざしゅっぱーつ!」
「あれ……?」
今日は姉貴が夕食当番なので『遅くなる』とメールしようとポケットに手を入れたが、ない。
「どうかした?鶴宇」
「ん?用事でも思い出したのか?」
「あ、ワリィ。携帯、教室に忘れてきたみてぇ。先に行っててくんない?」
「おぅ。じゃな」
「それじゃ、また後でな!」
そう言って翔達を別れると、走って教室まで行き、自分の机を覗き込む。着信を示すピンク色のランプが光っていた―――姉貴からだ。内容は『帰りにヘアピン買ってきて』。

 ……またかよ。

 姉貴と俺は7歳離れていて、昔から姉貴には面倒事を押し付けられてきたような気がする。今もこうして帰りに買い物を頼まれることもしばしばだ。特にヘアピンは『よくなくしちゃってさー』と言っては買ってくるように言われる。おそらくあの部屋を掃除したら、1ケース分は出てくるに違いない。俺は溜息をついてから『わかった』と返信を打った。画面内の紙飛行機が飛び去るのを見届けて携帯を閉じると、外窓に時刻が表示された。16:20―――走ればまだ追いつけるだろう、などと思いつつ、ふと外を見れば、さっき見た黒いコートの人物が池のほとりに立っていた。
「っ!?」
一瞬、俺は自分の目を疑った。しかし黒いコートの人物は消え失せ、池には波紋が広がっている。
「うそ、だろ……?」
 今日は二月十日。水泳にはいくらなんでも早過ぎる。もしかして自殺、とか?もしそうだったら明日の朝は全校集会が開かれて、あのバーコードが神妙な顔つきで『昨日、C組の白峰さんが亡くなられました』とか言って、一部の女子は泣き出すんだ。ほとんど面識なんて無い癖に、だ。
「とにかく急がねぇとっ…」
慌てて階段を駆け下りて中庭に向かう。途中からまどろっこしくなってきて、手すりを飛び越えた。
 一階に着いて体育館へと続く渡り廊下を走ると池が右側に見えた。白峰の姿はない。

『イザというときに躊躇ったら、そいつに生きてる価値なんてない。むしろいっそのこと死ね』

 姉貴の台詞を思い出す。
 俺は思いっきり池に飛び込んだ。
池の中は見た目よりずっと深いうえに、潜れば潜るほど透き通っていくようだ。
「っ何だ………」
突然白い光に眼を射抜かれ、反射的に眼を閉じると、背中に鈍い痛みが走った。
「痛っ………」
背中を擦りながら、ふとおかしなことに気づいた。
「此処は…」
辺りを見回すといつもの景色が広がっていた。―――――しかし、何かがおかしい。

 誰もいないんだ。

校庭で練習しているはずの野球部の金属バット特有のあの鋭い音も、すぐ近くの体育館で練習しているはずのバスケ部のボールの音すらも聞こえてこない。
「一体何なんだよ………」
 俺が呆気にとられていると、


 ドォォォォォォォン


 ドォォォォォォォン


突然、校庭から轟音が響いた。音は次第にこちらに近づいてきて、響くたびに地面は揺れ、大気はびりびりと振動する。まるでファンタジー映画の巨人が行進しているシーンのような――――――

 そんな事を考えているうちに、音は随分近づいてきていた。
「――――っ」
俺は自分の目を疑った。
 中央棟がガラガラと音を立てて崩れ落ちると、その向こうには真っ黒な巨人が立っていた。
「マジかよっ………」
とりあえず落ち着け。これはきっと夢だ。俺は池に飛び込んだときに頭でもぶつけたんだ。そうだ、そうに違いない。それに池から来たんだから帰れるはずだ、きっと、きっとーーーーー
 何とか体を動かして行きと同じように池に飛び込んだ。

 しかし池は浅く、立ち上がって見れば膝上までしかなかった。

『およなんてたしずつっかつらあのせんてきしんきこねぇこくだらさないなきだやいしばなかねうをいすぎあなりざりつぐじきせづくだまちさをるあかひぐどのびまの』
 男の声、女の声、小さく呟くような声から怒鳴り声まで、様々な声が一度に響く。咄嗟に耳を塞ぐが、全く意味をなさず、頭がわんわんしてきた。何なんだよ、これ。
 そのとき、巨人が呆然と池の中に立ち尽くす俺に気づき、ゆっくりとこちらを向いた。


「全部、お前のせいだ」


 巨人に顔はなかった。

 あ、むじな。


 巨人がニタリ、と笑った気がした。

 巨人が俺の頭上に両腕を振り上げる。

 ああ、俺、死ぬ。

不思議なことに、怖いとは思わなかった。ただ、姉貴に頼まれたヘアピンを買って帰れなくなることだけが気になった。


 俺はしばらく目を閉じていたが、突然ドン、と何か重たいものが落下したような音とともに、
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
というすさまじい悲鳴が辺りに響いた。恐る恐る目を開くと、目の前に黒いコートを着、日本刀を持った少女が立っていた。

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