『葉桜の下、君と。』
あの変態保健医にサクラクラ病とかいうふざけた病にかけられてから桜の花を見るだけで苛々する。完治した現在もそれは変わらず、今年は風紀委員会恒例となっている花見も中止にさせた。桜はとの思い出の花だからほんとは二人だけでお花見をしたかったけど、たとえ顔には出なくてもはそういうことには敏感だからきっとまた、彼女を困らせてしまう。
「ただいま」
「っおかえりなさい!」
僕が応接室のドアを開くと、は慌てて窓から離れてこちらにやってきた。
「今日は怪我してない?こないだみたいに」
「…」
静かに名前を呼ぶと彼女は不思議そうに僕を見た。そのあどけない顔がかわいい。抱きしめて首元に顔を埋めるとの匂いがした。
「今度の日曜、久しぶりに散歩しようか。仕事あるから昼前までだけど…それでもいいかい?」
「うん!」
「じゃあいつも通り10時に迎えに行くよ」
「はーい」
の頬がほんのり赤い。よほど外に行きたかったんだろうな。
「…ごめんね」
「なに?」
「なんでもないよ」
***
土曜日の夜、僕はベッドに入ったものの、数分おきに寝返りを繰り返していた。と出かける前の日はいつもこうだ。僕は眠ると決めたらすぐに眠れる体質だからこれまでこんなことはなかったのに。何とか眠ろうと目を閉じてゆっくり息を吸って、吐く。寝不足だとまたが心配してしまう―――
「緑たなびく〜並盛の〜大なく小なく〜並がいい〜」
「ん…」
「ヒバリ、アサダヨ!」
「んっ……おはよう、ピヨ」
「オハヨウ!」
軽く伸びをして起き上がると洗面所に行き顔を洗う。それからキッチンに向かい、トースターにパンをセットしてカップにティーパックを入れてお湯を注ぐ。ピヨの餌を用意しようとコーンの缶詰を開けると、その音を聞きつけたピヨがやってきた。
「まだだよ」
そう言ってほどよく色のでたティーパックをカップから出し、冷蔵庫からジャムの瓶を取り出してトースターから飛び出したパンを皿にのせると席につく。
「いただきます」
「イタダキマス」
林檎のジャムを塗ったパンをかじりながら時計を見れば7時。そろそろは起きる頃かな。
パンのお皿を下げ、寝る前に用意しておいた服に着替える。それにしても残り時間をどう過ごそう。洗濯は昨日やったし、冷蔵庫の中身も昨日の夜確かめたし………。
本でも読もう、と枕元に置いてあった文庫本を開いたものの、いまいち集中できなくて20分くらいすると時計を見てしまう。ピヨはそんな僕を見て不思議そうに小首をかしげた。
***
部屋の中を歩いてみたり、ピヨと遊んだりしてやっと出かける時間になった。
「それじゃ、いってくるよ」
「イッテラッシャ−イ」
のんびり歩いたつもりだったけど、もうの家が見えてきた。まだ約束の時間まで20分あるし、この辺を歩いてこようかなと思ったとき、誰かがこちらに向かって走ってきた。
「恭弥!」
「」
「部屋の窓からたまたま恭弥が見えたから」
確か此処はの部屋から窓を閉めたままではぎりぎり見えないはず―――
僕は何だか嬉しくてそっとの手と自分のを絡めた。
「きょ、恭弥」
「なに」
「……だいすき」
不意打ちだ…。
僕は赤くなった顔を見られないよう、の手を引いて歩き出した。
***
みどり公園はこの辺りでは花見の名所として有名だけど、桜が散ってまもない今の時期は人もまばらだ。
「もうすっかり葉桜になってるね」
「そうだね」
「私、桜って花が咲いてるときも好きだけど、葉桜も好きだな。こうやって木の下を歩いてると、日の光が隙間から降り注いでて気持ちいいし」
そう言うがかわいくてそっと頬にくちづけると、みるみるうちに顔が真っ赤になって「な、はぅ」とか言いながら硬直してしまった。かわいいな。
「もう、何するのっ!」
「何ってキ」「言わなくていいよっ!」
ぺしっ、とが僕を叩くけど、照れ隠しみたいなものだからちっとも痛くない。
「あそこの自販機で飲み物買って休憩しようか。そこにベンチもあるし」
がこくりと頷く。そっと手を取って「ほら、行くよ」と歩き出すとちょっと不満げに口を尖らせながらもちゃんと一緒に来てくれる。
「どれがいい?」
「え、あ、自分で買うから」
「いいよ。僕が買ってあげる」
「あ、ありがとう。じゃあ、その期間限定カルピスお願いします」
なるべく日陰になっているベンチを探して座り缶を開ける。ちらりと隣を見るとと目が合ったけどは慌てて正面を向いてしまった。は照れ屋だから恥ずかしいのはわかるけど、そんな風にしなくてもいいのに。
紅茶を一口飲んでぼんやりと雀を眺めていたら、突然ベンチに置いていた右手が温かくなった。視線をそちらに移せば目に入ったのは僕の手に重ねられたのかわいらしい手。俯いているの頬は赤く染まっている。
「好きだよ」
その手を握って耳元で囁いたら、彼女は耳まで真っ赤になった。
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